漢方2000年の歴史を探る
漢方は、2000年超にわたっての、効き目や安全性に関する長い経験に基づいて築き上げられた、すばらしい医療体系である。いつどんな風に日本に入ってきたのか、どう発展してきたのか、その歴史を振り返ってみよう。
漢方年表
紀元前
●原始的な経験治療の時代。魔法医療もしきりに行われた
5 - 6世紀
●朝鮮半島経由で、中国・朝鮮の医療技術が輸入される
7 - 8世紀
●遣隋使らにより、直接中国から医学文化を大量輸入
13 - 15世紀
●禅宗の僧医たちが新しい僧医学の担い手に
●明から帰国した医師たちが医学界をリードし始める
16世紀
●金元李朱の医学が輸入される
●ザビエル来日、キリスト教とともに西洋医学を伝える
●宗教医学を改め、宗教と医学を分離する(後世派)
17世紀
●鎖国政策
●『傷寒論』を基本とする古方派がおこる
●後世派と古方派がおこる
19世紀以降
●新政府は漢方医学廃絶の方針を選択。漢方は極端に衰退
●著書などが引き金となり、漢方が脚光を浴び始める
●戦後、物質偏重的な医学から精神的な医学へ。自然的な東洋医学が再び注目され始める
●漢方薬が健康保険薬として扱われるようになる
昔々のそのまた昔、人々は祈祷やまじないなどの魔法医療を行っていた。
そして漢代から三国六朝時代にかけて、中国では一つの医学体系が完成された。この中国医学がはじめて日本にきたのは5世紀初めのこと。この時は朝鮮半島経由だったが、その後、遣隋使や遣唐使によって、直接中国文化の輸入が始まった。
平安時代には専門の医師が医療を行っていたが、鎌倉時代になると僧侶が医療にたずさわるようになり、室町時代には、切傷・刃傷などの外科や産科など、医業の分化がすすんだ。その後、フランシスコザビエルが鹿児島に来航し、キリスト教と同時に西洋医学を伝える。そして江戸時代、日本は鎖国政策をとるようになった。
日本の漢方においては、「後世派」「古方派」さらには「折衷派」といった流派が次々とおこり、もともとの母体である中国の医学とは別に、日本的に改良を重ねられていった。
西洋医学に徐々におされつつも、依然として漢方は日本医学の中心だった。ところが明治のはじめ(1884年)、医師免許 規則が制定され、「医師免許は西洋医学を修めたものだけに与えられる」ことが決まって以来、漢方は医学界からほとんど 姿を消すことになる。
その後、著書などが引き金となって、漢方は次第に脚光を浴びるようになった。そしてさらに決定的だったのが、1976 (昭和51)年に約40種類の漢方製剤が健康保険薬として取り扱われるようになったこと。漢方専門ではない一般の医者で も、漢方エキス製剤が手軽に扱えるようになり、漢方は再び注目を集め出したのだ。
その後10年あまりのうちに、全国の 医療機関で扱われる漢方薬の量は十数倍にふくれあがり、半分近くの医者が、漢方薬を処方の中にとりいれるようになったという。
この先ますます、漢方に期待がかかるワケ
日本は高齢化社会に突入し、高血圧や糖尿病などの生活習慣病で多くの人が悩んでいる。また、ぜんそくやアトピー、心身症、ストレス病など、治りにくい複雑な病気も増えている。
こうした病気に対して、西洋医学だけでは十分対応できないことも多く、漢方薬もうまく取り入れた新しい治療法の研究が進んでいるところだ。
いくつもの症状をかかえて、たくさんのクスリを飲まなくてはいけないお年寄りにとっては、一つのクスリで複合的な効果が期待できる漢方薬は、ありがたいといえるだろう。