ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去
ローマカトリック教会のカリスマ的リーダー、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が4月2日9時37分(日本時間3日午前4 時37 )、84歳で死去した。
法王は2月1日、インフルエンザで入院。その直後、インフルエンザの合併症である急性喉頭痙攣(喉頭がふさがり呼吸困難になる状態)と診断された。この呼吸器系の危機による2度の入院から、その後回復していたが、復活祭の週に容態が悪化。3月30日、栄養摂取のためのチューブを挿管されたが、翌31日に尿路感染症と高熱を発し、臨終前の儀式である「終油の秘跡」を受けた。
法王庁は4月1日、心臓発作と敗血症によるショック症状による「極めて深刻」な状態と発表。呼吸が浅くなり、腎不全により容態は急速に悪化し、2日朝には意識がある状態とない状態を繰り返すようになったが、昏睡状態に陥ることはなかったという。2日夜、法王庁によりその死去が発表された。法王庁主席報道官Joaquin Navarro-Valls博士によると、法王は自らの意思で入院はせず、バチカンの居室で集中治療専門家チームによる治療を受けていた。
1978年、法王に選出されたヨハネ・パウロ2世は、 11カ国を流暢に話し、イタリア外への訪問国が128カ国に及ぶ積極的活動を行い「空飛ぶ法王」と称されたが、健康問題には長年悩まされ続けていた。1981年に、サンピエトロ広場で狙撃により重症を負い、1992年には腸の悪性腫瘍(オレンジ大)の摘出手術を受けた。
同じころ、左手の震えがパーキンソン病によるものとの診断を受け、その後、法王の顔の筋肉はこわばり、発話や呼吸が困難になり、姿勢も前かがみになっていった。これらは中枢神経系の疾患であるパーキンソン病の典型的症状である。1994年には浴室で転び右大腿骨を骨折した。その後も各国訪問を続けていたが、2002年の右膝の関節炎以来は、活動を縮小せざるをえなくなっていた。